川の子供

 河童は正確には海の妖怪ではなく川の妖怪であるが、河口近くの海にだけは出没する。
 松江からおよそ2キロ半、川地(かわち)と呼ばれる川が通る川津(かわち)村という小さな村に、カワコの宮と呼ばれる小さな祠が建っている(出雲の一般の人々の間では河童という言葉は使われず「川の子供」の意味でカワコと表現する)。この小さな社には河童が署名したと言われる文書が保管されている。話は昔へ遡るが、その河童は川地を棲みかとし、多くの村の住人や家畜を捕らえ殺して暮らした。しかしながら、ある日馬が水を飲みに川へ入ったところを捕まえようとして、どうした拍子にか河童はその頭を馬の腰帯の下に巻き込んでしまい、怯えた馬が慌てて水から出て地面に河童を引きずった。そこで馬主と数人の百姓が河童を捕まえて縛り上げた。聞こえるように許しを請い地面に頭を下げる化け物を見るために、村人の全員が集められた。百姓達はすぐに殺してしまおうと望んだが、たまたま村長であった馬主はこう言った「川津村のために、人や家畜に二度と悪さをしないと誓うならそれで良い。」用意された誓約の様式をした書き物を河童に読み聞かせた。そいつが言うには、字は書けないが文書の最後へ手に墨を付けて手型を押し、それで署名としよう。これを守ると同意して河童は解き放たれた。その時から後、川津村の住人や動物が妖怪に襲撃されることはずっと無かった。

 かつて出雲の持田の浦と呼ばれる村に、たいそう貧しく子供を持つことを怖れる農夫が住んでいた。そして妻が子供を産むたび川へ投げて、死産であったと偽りを述べた。時には息子であり、時には娘であったが、いつでも幼子は夜中に川へ投げられた。このようにして6人ほど殺された。
 しかし時は流れ、農夫は自分が少し裕福になっているのに気が付いた。土地を買いお金を(たくわ)えられるようになった。そしてとうとう妻が7人目の子供を産んだ──男の子であった。
 それから男は言った「今、我々は子供を養えるし、年を取ってから世話をしてくれる息子が必要だ。それにこの子は綺麗だ。だからこの子を育てよう。」
 そして幼子はすくすくと育ち、冷酷な農夫は日々の自身の心に驚きを深めるのであった──日増しに息子への愛が深くなっていくのを知った。
 ある夏の夜、彼は子供を腕に抱いて庭を散歩していた。小さな子は5ヶ月になっていた。
 その夜は大きな月が出ていてとても美しく、農夫は感嘆の声を上げた──
「ああ、今夜めずらしいえ()だ。」〔ああ、今夜は本当に素晴らしく素敵な美しい夜だ。〕
 その時、幼子は彼の顔を見上げ大人の話しぶりで言った。
どうしてお父さん、わしを最後に投げ捨てた時もちょうど今夜のようで、月の見掛けは同じではありませんか。」
 以後その子供は同じ年頃の他の子と同様なままで、話すことは無かった。

 農夫は出家した。
「知られざる日本の面影」より

どうしてお父さん……
「おとつぁん、わしをしまいに()てさした時も、ちょうど今夜のよな月夜だたね。」──出雲の方言。

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